環境整備=意思決定

マイツールこわいのはなぜ

現在、地元秋田で剣友の東海林一義さんを講師にマイツールを学んでいる。
昨日は全12回のカリキュラムの第2回目だった。
一番強く感じたことは、マイツールが怖くなくなったこと。

鶴のマークを押したら何が始まる?
何をやればいい??
どこに保存されてる???
どこから持ってくる????

喉に刺さった小骨が落ちる

子供の時、魚を食べなさい!と言われ美味そう!と思い魚を口にした時にニシンの小骨が喉に刺さってしまい、ご飯を噛まずに飲み込んだら取れると親に言われて大変な思いをして以来、小骨の多い魚が苦手になった時期があった。そんな経験とダブっている。

ある時父に小骨を気にしなくなるには2つあると言われた。
1.綺麗に食べること:身を解す(外す)時は作法に従って綺麗に外す。
2.口を大きく開きすぎず小骨の存在を意識して食べる:身の中に小骨があるか感じながら邪魔ならば外に出し、些細なものだったらよく噛んで飲み込む。

魚を食べた後の皿の上が汚い人は美味しいところを味わえていない。まさしく「環境整備」
綺麗に食べること=小骨も喉に引っかからないし美味しいと感じる。
美味しいかものだからと言われ小骨の存在を意識せずにガブッといったら痛い目にあうこともある。(ないと思い込むのも大事だが・・・)
これもまさしく「考える」につながる。
この2つが今回の学びにリンクしていると感じた。

Whyから始めるとやらないことが削ぎ落ちていく

今まではやみくもにコマンドだけを覚えようとしていた。
頭の中はごちゃごちゃ。なぜ必要か、どうやって使うか、使う場面はあるのかないのかも深く考えないままただ飲み込もうと口の中に入れる。それが自分の知識を深めたものと勘違いしていたとやっと分かった。

今まで自分の口の中に入れていたのは、知識ではない。操作技術だけだったのだ。
操作技術≠知識なので、操作技術は、飲み込んだからといって知識とは言わないし知識に変化しないことになる。

知識というのは、操作技術を利用技術に昇華させるために必要な栄養素だ。
知識はマイツールで扱うデータを静から動に変えるために必要なものだから、栄養素をもらう食物である情報源(書籍、先生、学びの場:経験)等が身(知識)にならなければならない。
でも、必要外の栄養素だったら身になったとしても意味がなく(マラソンランナーにスピードスケーターの太ももを与えてもしょうがない)時間をかけて咀嚼する必要がないということになる。

無力感があるから希望に向かえる

改めて自分の知識のなさを痛感した。
知識と思っていたのが「方法」を会得していただけだけに過ぎなかったのだ。
更に分かったのは、エクセルでラインを引き、表を作り、セルに中に入れる文字の配置や体裁を整えて人が見やすくすることや、セルに関数や数式を入れてその答えを自動的に表すことに労力を費やすことは、配慮でもなければ環境整備でもないもっと狭義なものであるということだ。

操作技術を知識と経験を使って考え利用技術に昇華させる。
昇華させることができたなら何ができる?それは意思決定だ。
意思決定はどうやったらできる?それは自分で環境整備できるようになることだ。

無力感は逆に清々しい。希望をもって次回の学びに望めそうである。

 

 

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投稿者プロフィール

kano
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かのさんこと鹿子澤浩美(カノコザワヒロミ)です。
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